電気自動車と電池は明日を拓く

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2018/7/11 16:00
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燃料電池車を生んだホンダ基礎研究所の実力
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2000年に公式発表された人型ロボット「ASIMO」。中央は当時のホンダ社長の吉野浩行氏。ASIMOも和光研究センターの成果である(写真:AFP/アフロ)

 前回のコラム、「日産が開発凍結を宣言した燃料電池車の行方」では、ホンダにおいての燃料電池の研究開発は、基礎研究所として新たに発足した和光研究センターで1986年にスタートしたことを述べた。当時のホンダでの燃料電池の開発は、定置用を目的として出発し、1990年代初頭までは燃料電池車(FCV)用を目的としたものではなかった。

 1993年、米国カリフォルニア州のゼロエミッション車(ZEV)規制への対応に加えて、独ダイムラーや米ゼネラル・モーターズ(GM)の影響を少なからず受けて、定置型目的の燃料電池の研究開発は、FCV用に方向を転じた。そして30年の歳月をかけて、2016年3月にFCVの市販に漕ぎつけた。

 2014年12月に世界で初めて市販化したトヨタ自動車に遅れはしたものの、FCVへの転換は結果として正しい選択であった。もっとも先のコラムにも記したように、今後のFCVの普及については課題が山積しているのも事実である。

本田宗一郎の夢を乗せて

 そもそも、1986年に創設された和光研究センターのミッションは、ホンダにおける新事業を開拓するための革新的な研究を担うことにあった。それだけにハードルと難度の高い研究テーマを推進するプロジェクトが選定されたのである。

 その成果は様々な領域で具現化された。その最たるものが、ホンダの子会社であるホンダエアクラフトが事業化しているホンダジェットである。これも30年前に始めた基礎研究から事業化に至ったもので、現在の量産化はホンダのDNAを象徴したものである。創業者の本田宗一郎が残した言葉、「やがては空を飛びたい」に端を発している。

 1978年にホンダへ入社した筆者も、その創業者のメッセージは良く聞いていた。ジェットビジネス業界では明らかに後発であったが、その分、したたかに、かつ不屈の精神を持って基礎研究から事業化に結び付けたのである。途中での紆余曲折もあり、事業化を見送ろうと考える経営トップ(福井威夫社長の時代)に対して、現在のホンダエアクラフトの藤野道格社長は直談判したこともあった。長きに亘るホンダ開発陣の努力と同様に、経営陣の忍耐は賞賛されるべきであろう。

基礎研究所からの数々のアウトプット

 和光研究センターが成果として誇れるものはほかにもある。その一つは、ナビゲーションシステムだ。高橋常夫エグゼクティブ・チーフエンジニアが先導したもので、実用化に至るまでの研究開発の過程は、日本経済新聞で連載された「小説本田技研」でも採り上げられた。

 高橋氏は、本田技術研究所の中で筆者が尊敬する人物の一人である。常に新たな革新を追求する姿勢、しかし驕らず謙虚に、しかも客観的かつ冷静に物事を判断する洞察力を備えているからである。現在はNF回路設計ブロックの会長として活躍されている。

 高橋氏の経営戦略の実施により、ここ数年で同社は大幅に業績を拡大した。高橋氏が新たな会社で好業績をもたらせたのは、日本ではトップランナーとして開発を実現したナビゲーションシステムに携わり、実績を出した自信が根底にあるからだろう。